
(公式X:映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』公式より)
映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を見てきました。
だいぶ前から気になっていた映画ということもあり、公開初日に。
ただ、正直しっくり来なかったというか、自分の中で納得しきれなかったというか、もやもやしている部分が多いということもあり、その吐き出し場として記事を書いています。
公開から今日まで忙しかったのもありますが、どう受け取るのが良いのかを考えていたら書くのが遅くなってしまったんですよね。
高評価をしている人が多いのも多分事実なので、私みたいなタイプの人間が何を思ったのか、明確にしながら書いていこうと思っています。
この前置きで理解できるように、100点満点、大絶賛の感想ではなく、むしろ批判寄りとなるので、そういうものが見たくない方はこのページを閉じていただくのが良いと思います。
また、ネタバレもします。そうしないと伝わらなくなるので。
曖昧な表現にすることで解釈の余地を残してしまうと、私が書きたいことが上手く表現できない可能性がありますしね。
まずは私の情報から
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を購入したのは邦訳版が出てすぐだったのですが、全く読まないまま本棚の肥やしにしていました。
そのため、下巻まで読み終えたのは公開の直前。3/10頃だったと思います。
つまり原作の記憶が脳に焼き付いた状態での映画視聴となりました。
原作はかなり好きで、なぜ今まで読まなかったのかと後悔しつつの読破でしたね。
というわけなので、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」をずっと楽しみにしていた古参ファンというわけではなく、新参読者というのが良いかと思います。
読書体験に対してかなり高評価であるものの、何度も何度も繰り返し読んだわけでも考察にどっぷり浸かっているわけでもありません。
ただし、映画を見るタイミングでは読み終えた直後ということもあって、各シチュエーションをかなり鮮明に思い出すことができる状態でもありました。
私が原作で好きだったのはどこなのか
視聴を終えた私は、一旦冷静になって「私にとって「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のどこが好きだったのか」を確認することに。
そこで浮かび上がってきたのは以下の4点でした。
- 何が起きているかわからないシチュエーションからの解放
- 問題の解決によって次なる問題が提示される展開の妙
- 科学者という「生き物」の行動原理への興味
- 問題解決を目指す共同パートナーであるロッキーとのバディ感
物語構造の観点から言うと、序盤の「ここはどこ?私はだれ?」そして「何が起こっているの?」というもう何もかもがわからない状況からのストーリーテリング自体が好き。
読み始めた自分とグレースの理解度が一致し、ある種ミステリーのように状況を解き明かしていくことになるのも面白いところ。
また、中盤からは様々な問題が次々と登場していき、物語がドライブしていく。
アストロファージを捕食する生物を手に入れるために取った手法の影響で、船体に問題が発生。その結果タウメーバの増殖に繋がり、燃料が無くなってしまう。
途方にくれていた時にビートルズの存在を思い出し、それによってなんとかロッキーの船までたどり着くことができ、更にその道中も使ってタウメーバの品種改良を進めることに成功。
ロッキーから燃料であるアストロファージをもらって、グレースもなんとか地球へ帰還、出来ると思いきや品種改良の影響でさらなる問題が……。
というような問題・トラブルが数珠つなぎのようになって登場してくる構成が読んでいて飽きるどころか、次は何が起こるのかとのめり込ませることにも繋がっていたように感じています。
これらの構成を駆動するのが「科学者」というものの行動原理に由来する部分だというのも興味深い要素。
グレースが最初に別の宇宙船を発見したときには「始めて異星人と接触する地球人」になれることへの喜びが大きいものでしたし、そもそもアストロファージを発見した際の研究へ惹かれる様子もわかりやすいものでした。
そして、グレースが宇宙船に乗っているのも、記憶を失ったとしても科学者として勝手に調査を進めてしまうだろう、というストラットの計算による部分が大きいのも事実。
エリディアンたちがグレースを助けたのもエリダニ外生命体として研究対象として考えている部分も大きいでしょうし、グレース以外の、地球・エリダニにかかわらず科学者というものは興味によって引き寄せられてしまうさがなのでしょう。
このように、最初の状況把握ミステリーを乗り越える部分も、その後のトラブルの連続をなんとかして乗り越えていく部分も、科学者であることが中心にあり、だからこそ宇宙という孤独な場所で目標へ向かって邁進することができたのだと感じているんですよね。
それらの進行の中で感じる「知的興奮」が読み進める際に最も強い力になっていたのは言うまでもありません。
そしてその上で問題を解決する仲間としてロッキーがいたのだと、私は感じています。
1人の科学者だけでは難しいことを、ロッキーと一緒に乗り越えていく。
大きな目的、そして科学というものがあったからこそ、2人が協力し、そして友になっていったのだと思っているんですよね。
ロッキーとのやり取りは好きなのですが、そのためには前提となる部分が必要。
というのが私の感想になる、というわけです。
では、映画はどうだったのか?
映画は「ロッキーとのバディ感」にフォーカスしたものになっていたような印象を受けました。
もちろんロッキーと一緒に問題を乗り越えていくのは好きな要素なので良いんですが、その要素の比重がものすごく大きいんですよね。
なぜ協力するのか、なぜ友になっていくのかがあまり描かれていない印象で、小説を読んでいる人からすると物足りないし、読んでいない人からすると情報が足りないという感想になってしまうような気がしています。
序盤の流れから見返してみると、「何が起きているかわからないシチュエーション」はほぼ一瞬で終わりになってしまい、ある種のミステリー要素は得られなくなっていると感じました。
また、地球でのやり取りについてもある種のエンタメ映画的な情報補足として使われていて、比較的普通の人間的な苦悩を見せることで観客の感情移入を進めるための描き方のような印象を受けています。
そういった要素が原作でも無いわけではないと思いますが、それよりも「科学者」としての見せ方が大きかったように感じていたので、この描き方で良いのか?というような疑問を抱えながら見る時間が長かったですね……。
また、問題解決にあたる部分の端折りもかなり気になってしまいました。
たとえば、なぜタウメーバが繁殖し、散布されてしまったのかが描かれていないので、映画として見た時の唐突感が拭えません。
また、その上でどうやってロッキーを見つけるのかがほぼ何も触れられていないので方向の計算やらスピンドライブの利用とか反射とかそういうのもわからないんですよね……。
映画化の難題として、原作を2時間程度に収めるための改変(脚色)が必要になってくるというものがありますが、問題の解決によって次の問題が呼び寄せられる構造を持つ本作では、変な箇所を削ると次の問題の発生要因が消えてしまうことにもなりかねません。
つまり、映画1本で描くのは相当難易度が高いと言えますし、本作は改変が完璧だったとは正直言えないように感じています。
その対策として、ロッキーとのバディ感にフォーカスしたのだと思うのですが、結果的に物語としての厚みがかなり損なわれてしまったのではないか、というのが私なりの分析です。
そして、削られてしまった箇所こそ、私が好きな場所だったので、見終えた時にもやもやとして、しっくりこないという感想になってしまったのだろうと思っています。
さいごに
色々好き勝手書きましたが、どこまで行っても「私が好きな箇所が描かれていなかったから、映画版はあまり好きじゃない」という個人的な感想となります。
クスっとくるコメディパートが上手に組み込まれることで、テンポが綺麗にコントロールされていることもあって、長尺の映画だと感じずに最後まで見ることができましたし、映画としては上手な構成なのだと思っています。
また、最初に書いたように直前に原作を読んだことが感想に影響を及ぼしていることは想像に難くありません。
つまり、原作の詳細をすぐに思い出すことができる状態だったので比較精度が高く、違いを強く感じてしまった、という話です。
これが邦訳版発売当初に読み終えていたら記憶がいい感じに摩耗して、映画で適度に記憶を補完しながら楽しむことができたのかもしれません。
逆に原作を読まなかったら……というのも考えてみましたが、「良い映画だけど期待した程ではないな」という感想になるような気がします。
描かれていない箇所のせいで「何が起きたの?」という疑問が残った状態で鑑賞し続けることになりそうですし。
そう考えると、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の映画化というのは、かなり難易度の高い挑戦だったのかもしれません。
いっそドラマとかにして、最初の記憶がまったくない、体力もまったくない状態で1話目全部使っちゃうくらいの構成で作ってもらえたら、もっともっと幸せだったのかもな、と思ったりします。
最初の記憶が戻っていくところをグレースと同じように体験したかったし、近い知性レベルの生命体がタウ・セチ付近で会えた必然性についてのセリフも欲しかったし、人為的に記憶が曖昧になっていることに気がついて絶望しつつストラットを殴ることを目標に頑張って欲しかったし、最後はもっと時間経過した上で地球の熱量が下がっていないことだけを知らされたかった……。
そのためには156分じゃ足りなかったのではないか、というのが個人的な意見です。
映像は綺麗だし、ロッキーの船の中も見れる(でもあれ被曝しない?)し、笑えるシーンもあるけど、好きな箇所がガッツリ削られていたので個人的にはおすすめできない映画でした。
あとロッキーというかエリディアンとの文化・習慣・常識の違いをちゃんと描いてほしかった。(とくに食事。コメディで済ませるな。今冷静だけどあれだけは怒るぞ)
楽しみにしていただけにとても悔しいので、原作を読み返してまた宇宙を旅する科学者たちに想いを馳せようと思います。

