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実写映画『鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成』の正直な感想を書き連ねる会


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6月24日についに公開となった、実写映画『鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成』。
前作や2017年公開の1作目についても色々書いてきたが、今作『最後の錬成』によってそれらは決着へとたどり着いた。

まずは、実写映画版が完結を迎えることが出来たことに、祝いと労いの言葉を投げたい。
本当におめでとう。ここまで大変だったはず……しっかり休んで英気を養ってね……。

 

 

それはそれとして

いい場所はもちろんあったけども、気になる箇所もたくさんあった本作。なんでやねん!とツッコミを入れたくなるところや、実情を察してしまう箇所もありました。なので、それらをネタバレも気にせず(原作がだいぶ古いのでもう良いはず)に書いていこうと思います。

 

お話の流れ


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前回である『復讐者スカー』は最後、13巻の序盤で起きたように、グラトニーにエドワードとリン、そしてエンヴィーが飲み込まれてしまうところで終わりました。というわけで今回はそのあたりからの再開となります。

まず最初ですが、12巻の最初のホーエンハイムが乗っていた馬車が野党に襲われるシーンと、イズミとシグの登場シーンを合わせる流れに。『復讐者スカー』でも取られていた、複数の要素を合わせる系の展開ではあるのですが、正直説明不足。イズミ夫妻が何者なのか知っている人しかわからず、原作を読んでいないと誰なのかわからないという無茶苦茶な継ぎ方。ホーエンハイムが撃たれても死なないという「化け物」であることを示すシーンに差し込んだせいでそちらの印象も弱くなり……という悪循環が生まれていたように思います。

これ、あとでも色々書くのですが、今回はこのような端折りによってわからなくなってしまうシーンが多すぎるんですよね。
時間的な都合や表現しなければならないシーンが多かったのでしょうが、演出や説明が全く足りていない。過去2作と比較すると極端に構成のパワーが落ちていると言われても仕方ないでしょう。

ストーリーの流れについて見てみると、今回の大きめな話をピックアップすると

  • 疑似真理の扉の世界
  • お父様との遭遇
  • ブリッグズの話
  • フラスコの中の小人の過去話
  • 最終決戦

てな感じなのですが、当然ハガレンの主要な部分をほぼ網羅するような形に。これを2時間でやりきるのは不可能ということもあり、「フラスコの中の小人」にかかわる部分に比重を寄せたのを感じました。過去の話や国土錬成陣、また関係するホーエンハイムとのやり取りなどに時間を割くために、他の演出は結構端折ったと言いますか。ブリッグズの話もスロウスとの戦闘はしっかり目にやったものの、それは地下の通路、そしてそこでの密談に絡むからでしょう。

今までのように「フラスコの中の小人」に絡む部分、そして最終決戦に絡む部分にフォーカス……しようとしたのでしょう。ただ、それは物語の根幹。当然関わる要素は凄まじく多く、結果として各要素が駆け足にならざるを得なかったのだと考えられます。

描かれなかった要素を一部抜粋

具体的に描かれなかった箇所、抜け落ちた箇所はどこか。次はそれを少し話していこうと思います。

まず気になったのは、疑似真理の扉から脱出するときのシーン。
ここでエドが自分自身を錬成し、真理の扉を開きます。その姿を見たリンは「まるで神への祈りじゃないか」と感じる……のですが、それが描かれませんでした。このシーン好きなので、だいぶショックでしたね……。

ブリッグズだと、スロウスとの戦闘が終わり、坑道で密談をする流れになります。これは原作同様、映画版でも踏襲されているのですが、その後出てくるレイブン中将は扱いがだいぶ雑に
この前のシーンでマスタングが軍部であれこれやり取りをするシーンがあるのですが、その後ブリッグズに来て、殺されたのかどうかも描かれぬままフェードアウト。気づいたらオリヴィエが大総統へ「席をもらう」話をしているという……。

終盤の戦闘で気になったのは、グリードがお父様へ入り込んで……というシーン。リンへの気持ちを色々話すのですが、そもそもリンとグリードのやり取りというか共存感というかが薄いので、感動のシーン感を演出しきれていませんでしたね

このように、話のつながりとして必須な部分は押さえつつも、そこに至る感情の機微、各キャラクターの深掘りが描かれないため、何が起きたのかわからないことが多数ありました。尺的な都合だとは思いますが、気持ちが置いてけぼりになってしまうことが多く、原作を知らないとそもそもついて行けない状態になってしまうでしょう。

原作からの観点だと、今作に限らず色々な要素がなくなっています。
例えば人型キメラは出てきませんし、関連してデビルズネストも登場しません。その結果、先代のグリードが登場せずに、リンの体にグリードが宿る展開に。仲間が云々言うところもありますが、そもそもお父様から離反する理由がわかりにくくなっていました。というか先代のグリードの性格があり、お話があった上でリンと出会い、過去の記憶に引っ張られ、「強欲」らしく振る舞った結果最後の展開につながっていくはずなので、その表層だけを描いた本作の演出ではグリードの良さやキャラクターとしての重要性を表現出来ていないんですよね。

あとは、ドクターマルコーが1作目で死んでいるため、書物を読み解くための解説役をメイチャンが負うことになっていました。マルコーがいないので、スカー組に厚みが無く、そこまで目立たなかったのですが……映画に納めることを考えるとまぁ仕方ないとも感じました。

関連してキンブリーが一切登場しなかったのは驚きでしたね。
考えてみるとキンブリーが登場するだけで色々ややこしくなり、戦闘の回数が増え、賢者の石に関連するやり取りも増えるので、尺が足りなくなるというのも分かります。分かりますが、前作でめっちゃ意味有りげに登場してたやん!というのが正直な感想です。
じゃあなんだったの前回の回想シーン!と、どうしても声が出ますよね。

さいごに

気になった箇所を色々書きましたが、簡単にまとめると「端折りすぎ」。
構成の観点で過去作を評価していたのですが、3作目は削る、組み替える余裕がほぼなく、結果として存在しないドラマの総集編を見ているような印象になってしまいました。
ただ、原作の構図を再現しようという心意気は前作同様。そのため、見ているとあのシーンの再現だ!と胸が熱くなり、テンションが上がることが多々ありました。その結果、帰って原作を読みなおそう!という気持ちにもなったのですが。

悪い映画、というつもりはありません。
3作目まで見て愛着もわきましたし、構成の観点では素晴らしい部分が間違いなくありますので。ただ、最後はもったいなかったなというのが正直な感想でもあります。
予算や時間などの都合からも難しいことだとは思いますが、理想を言うともう1作作り、うまく分散させることができれば……とどうしても思ってしまいます。

役者の話をすると、やはり山田涼介の演技はしっかりしていて、エドを感じることができたように思います。またシン組(渡邊圭祐、黒島結菜、筧利夫)も役にしっかりフィットしていて、終盤以外はそこまで違和感を持つ部分はありませんでした。

邦画としてかなり頑張った。
原作ありきの映画としてかなり頑張った。
でもやっぱり難しい壁がある。

そんなことを感じさせられた映画でした。

 

ちなみに、漫画原作の映画というと、今月は『キングダム』の2作目が控えています。前作が結構よく出来ていたので、今作も結構楽しみ。7月はこれを楽しみにしていこうと思います。

鋼の錬金術師